カリブ海に存在したポートロイヤルの異質な発展とその末路とは?

歴史・ミステリー


映画カリブの海賊のモデルともなったとされるジャマイカのポートロイヤル。

当時スペインと争いを繰り広げていたイングランドは、その戦略的重要性からポートロイヤルを奪い取ります。

奪取したポートロイヤルは発展しますが、その発展は現代の基準からするとかなり異質でした。というのは、海賊行為で敵の船から略奪する行為が主となって発展したとも言われてます。

ただ、そんな繁栄は長く続きません。

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カリブ海に存在したポートロイヤルとは?

17世紀の西インド諸島~南アメリカの多くの土地がスペインの植民地でした。

ポートロイヤル

ヨーロッパと南アメリカなどの新大陸を結ぶ 重要航路のスグそばに位置 していました。

そんな戦略的拠点であるポートロイヤルを巡って、イングランドとスペインが激しい領有権争いを繰り広げてました。

スペインからポートロイヤルを奪い取る

スペインからポートロイヤルを奪い取ったイングランドは、周囲をスペイン領に囲まれたポートロイヤルの港周辺に砦を築いて守りを固め、港の拡張で発展させました。

ただ、この発展に携わったのは商人だけではなく、当時スペインの植民化により海賊になった現地人の他、イングランド出身の人も海賊も別の意味で発展に寄与したとされてます。

国家から認められた海賊行為

イングランドとスペインの間で争ってましたが、イングランドが思いついた秘策が、海賊にスペインの船を襲わせて、略奪行為に許可を与えていたのこそ「私掠船という存在。

スペインの力を削ぎつつも、自らの手を汚さぬ狡猾な手段で力を付けて行ったイングランド。
その中の海賊で特に活動が目立ったのが、イングランド出身のヘンリーモーガンという人物で、付近のスペイン植民地を次々と襲っていって、最終的には総督としての立場を与えられるまでになってます。
このポートロイヤルこそ、カリブの海賊のモデルともされてるものです。

海賊が支配する街

当時のポートロイヤルは、商人の他、海賊による略奪行為が主となったため、生活も堕落したものになったそうです。

  • 売春宿
  • 酒場
  • 賭博場
  • などなど、堕落と快楽に振り切った生活。略奪行為がメインとなればそうなるのは必然。

    ただそんなポートロイヤルも長くは続きません。


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    ジャマイカ総督の死

    当時のジャマイカ総督だったヘンリーモーガン(勿論海賊です)の死後、スペインに対する海賊行為を禁止されます。

    更にその4年後の1692年6月7日、ポートロイヤルでマグニチュード7.5の巨大地震が発生。

    迫りくる津波によって約2千人ほどが亡くなったとされ、建物の2/3は深い海の底へと沈んでいきました。

    現代の考えからすると、略奪で栄えて日々快楽に陥っていた「堕落した都市」に神の審判が下ったとも。

    海賊に対する見方も変化

    新しい総督となったニコラス・ロウズは、海賊たちの取り締まりを強化することを開始。

    特に名の知れた海賊が次々と捕らえられると、現地の人の海賊への見方にも変化をしていき、最終的には捕らえられた海賊も絞首刑となり、ポートロイヤルの港付近に吊るされました。

    人々の見方というのも、社会の流れでいとも簡単に変わってしまうものですね。

    スピリチュアル的なことかもしれませんが、やはり海賊行為という奪うというのは繁栄が続かないようになってるのかもしれません。

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